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インクルーシブビーチフェス2024 in 白石島(2024年9月23日開催) ~ どんな参加者もインクルーシブに楽しめるビーチフェスで、死ぬまでに達成したいことリストを上書きした日
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BUCKET LISTをご存知ですか。
映画『最高の人生の見つけ方』をきっかけに広く知られるようになった「死ぬまでにやりたいことリスト」とも訳されるこれを、例にもれずミーハーな私も作成していて。
10回の引っ越し、公務員から地域おこし協力隊への転職、聴覚障がいがあるのに取材ライターになる……人よりも好奇心旺盛なほうだと思っていた私でも、このリストを100個埋めるのは至難の業で。40個目くらいまではスラスラと書けたけれども、残りの60個を埋めるのに半日はかかったように思う。
いざリストを作ってみると「やりたいこと」というのは、例えば「瀬戸内海の近くで暮らす」くらいの漠然としたもので、じゃあその瀬戸内海でどんな暮らしをしたいのか、どんな体験をしたいのかなんてことまでは考えていなかったみたいで。
じゃあ、その瀬戸内海でどんな体験をしたいだろう……と思ったときにふと思い浮かんだのが「SUPに乗りたい」だった。
数年前、まだ私が東京で公務員をしていた頃に初めて訪れた倉敷でSUP体験をすることになった。小学生の頃にスイミングスクールに通っていたのでひととおりの泳法はマスターしているけれども、SUPは初めての体験。
聴覚障害のある私は、初めての場所で聴者の友人がたくさんいるその場で補聴器を外す勇気が出せなくて「みんなの様子を眺めておこうかな~」とへらへらと笑ってSUP体験を諦めた。
当時の私はそこまでSUPに乗りたいと思っていなかったし、乗れなかったことを後悔していたつもりも全くなかった。だから、いざ気合を入れてBUCKET LISTを作成するタイミングで「SUPに乗りたい」が出てきたときに自分でもびっくりしたことを覚えている。
そんなこともあって、おかやまユニバーサルツーリズム研究会さんから「今度、笠岡諸島にある白石島でインクルーシブビーチフェスをするんですけど、高石さんも一緒に行きませんか?」と頂いたチラシに【SUP】の三文字を見つけた私は、「行きます!!」と食い気味にお返事をして当日を心待ちにしていた。
参加者とほぼ同数のボランティアスタッフが参加する、大きな大きなフェス
2024年9月23日(月・祝)当日の天気は、朝から晴れ。笠岡港に到着すると、車椅子に乗った参加者や浮き輪を手にしてスキップをする子どもたちが、フェリーの到着を今か今かと心待ちにしていた。
「インクルーシブビーチフェス」の名のとおり、今回のイベントは障害のある当事者やその家族がインクルーシブに、つまり【共に】参加するフェス。50名近い参加者に対して、ボランティアスタッフも50名近く参加する大きな大きなイベントだったのだ。
白石島に到着すると、レッドカーペット……ではなくブルーのマットが砂浜から海の中まで参加者を誘うように敷かれていた。
このマットは「モビマット(mobi-mat)」。砂浜や雪上など、足元がガタガタする場所に敷くことで車椅子やベビーカーでもその上を歩けるポリエステル製のマット。
このマットが敷かれることで、車椅子ユーザーも自分で海の近くまで移動できる優れもの。自走で移動する人、支援者に車椅子を押してもらいながら移動する人、補装具を付けて歩いて移動する人……自分のペースでそれぞれに海へと飛び込んでいく参加者。
マリンアクティビティの経験が少なくても、普段からマリンアクティビティのインストラクターをしているボランティアスタッフやパラカヌーの選手も参加しているので、安心。ボランティアスタッフの手を借りたり、パラカヌー選手のカヌーに同乗したりしながら、少しずつ海に慣れていく姿も。
海の上から眺める景色の新鮮さったら
私も、パラカヌー選手の山田さんのカヌーに乗せてもらいカヌーデビュー。想像以上にパドルが重く、海水も流れがあるのでそれに逆行するように漕ぐと、水圧の重さも有り最初はおっかなびっくり。それでも、後ろで山田さんがリードしてくれるので大丈夫。
海の上は
・足先から少しずつ海に慣れようとうする当事者
・海に入るみんなの様子を眺めながら、砂浜でお喋りに花を咲かせる当事者同士
・ボランティアスタッフの手を借りながら、当事者とマリンアクティビティを楽しむ家族
・自分自身が心からマリンアクティビティを楽しむ当事者の家族
様々な参加者の様子が、一望できる特等席
普段は「補聴器が濡れちゃうから」と砂浜から海を眺めることの多い私にとって、海から眺める景色はとっても新鮮。でも、SUPに挑戦してはひっくり返って全身ずぶ濡れになっている参加者を眺めながら(これは、補聴器が危なそうだしやめておこうかな)とちょっぴり諦めモード。
気を取り直して、カヌーから見つけた足先から少しずつ海に慣れようとする当事者とその家族へお話を聞きに行くことに。
当事者も、家族も全力で【主役】になれるフェス
このご家族は、子どもが生まれる前までは夫婦共通の趣味であるスポーツを楽しんでいたとのこと。ただ、障がいのある子どもが生まれてからはなかなか趣味のスポーツに時間を使えなくなったそう。
しかし、様々な刺激が子どもの成長にもつながるからと車椅子でも参加できるスポーツを開拓。アクティビティ用の車椅子も購入し、健常者の兄弟児も一緒にスポーツを再開したら、家族での休日がより楽しくなったとのこと。
今回のインクルーシブビーチフェスでは、障害のある当事者が支援者と共にアクティビティを楽しむ様子を見て
「ずっと家族がこの子の面倒を見ないといけないと思っていたけれども、支援者と共にアクティビティを楽しむ当事者の大人たちを見て、ウチの子も今後このように余暇の時間を楽しめるのかもしれないと希望を持てた」
と語るお母さん。
お母さんと車椅子の女の子が語り合いながら少しずつ海に入っていく様子を横目に、健常のきょうだい児と全力で遊ぶお父さんは
「きょうだい児って、当事者の集まりに連れて行くとお客様のようになってしまいがちですが、このインクルーシブビーチフェスは当事者だけでなくきょうだい児も全力で遊びながらその日の主役になれる。ありがたいイベント」
と笑顔で語る。
確かに、きょうだい児は当事者の家族を支える役割を担いがち。でも、この日のイベントでは当事者・きょうだい児など関係なくカヌーやSUPの順番を待ち、ボランティアスタッフが【参加者】の要望に合わせたマリンアクティビティを支援。
当事者もきょうだい児も、それぞれが自分のペースで、自分が主役になってマリンアクティビティを楽しむ姿があり、まさに【インクルーシブ】なフェスが展開していく。
ボランティアスタッフが必要な人を決めつけていたのは、私だけだったのかもしれない
お昼ご飯には、参加者みんなで地引網みで採った魚を旅館華大樹さんで捌いてもらい、刺身・焼き魚・あら汁を堪能。
客室からビーチが一望できる華大樹さん
ここで同じテーブルに座ったボランティアスタッフさんに
「SUPに憧れているんですけど、補聴器濡れるのがこわくて……」
と打ち明けると
「補聴器が濡れないようにボランティアスタッフがサポートするから、挑戦してみなよ!」
と誘ってもらい、午後はいよいよSUP体験をすることに。
スタッフのかたいわく、SUPは立とうとするときにバランスを崩すことが多いため、座ったままで漕げばほとんど転覆しないとのこと。
「それならば!」といざSUPに乗ってみる。
はじめはおっかなびっくりだったけれども、スタッフがずっと付きっきりでアテンドしてくれるので心配無用。私は聴覚障害だから全介助は必要じゃないと思っていたけれども、最初から最後まで同じスタッフがマンツーマンで付いてくれるから安心してアクティビティを楽しめる。
本当にありがたいなぁと思う。
参加者のアクティビティの可能性が広がったインクルーシブビーチフェス
しかも、このインクルーシブビーチフェスの障害の有無に関わらず共にマリンアクティビティを楽しみたいという理念に賛同するスタッフだから、障害者のマリンアクティビティにも積極的。
補聴器や人工内耳のような補装具を外した状態でのアクティビティって、断られることも多くて。かといってこれらの補装具は水、特に海水には弱いから付けたまま参加も難しくて。だから、なかなか新しいマリンアクティビティに挑戦できない。
けれども、このインクルーシブビーチフェスで出会ったスタッフたちだからこそ「今度は、同じ聴覚障害の仲間を連れて白石島においでよ。一緒にできる方法を考えて待っているから!」と清々しい笑顔で送り出してくれる。
帰りは、島で仲良くなった車椅子ユーザーと共にバリアフリー客室で語らいながら笠岡港へ。
車椅子ユーザーも補聴器ユーザーも同じ【身体障害者】だけれども、障がい種が違うとなかなか交流の機会がないので、今回のように障害種を問わない、なんなら健常者もインクルーシブに楽しめるイベントは本当に貴重。
みんなで語り合いながら過ごす20分はあっという間。
でも心のどこかでみんな「同じ地域で暮らす身体障害者仲間だから、またきっとどこかで会えるんだろうな」と思っているからこそ「またね!」と笑顔で手を振り合い帰路へ。
これからが楽しみになる出会いがたくさんあった白石島。
「SUPに乗りたい」というBUCKET LISTを一つ達成して「SUPを立ち漕ぎしたい」と上書きした白石島。
当事者も、家族も、スタッフも、みんなの満足げな笑顔を秋の始まりの青い海が見送ってくれた。
華大樹客室から眺めるビーチ
著者: 高石真梨子
手話と日本語で思考する、聴覚障がいのある倉敷市地域おこし協力隊。東北→九州→近畿と各地を転々としながら学生時代を過ごし、関東の特別支援学校で幼稚部及び小学部教諭を5年半。2023年12月から倉敷にて、「音のない世界と音のない世界の狭間で」をテーマに写真と文章を紡ぐ日々。倉敷の今を伝えるWebメディア「倉敷とことこ」を拠点に執筆している。